船の話

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夕暮れの雨で、緑がかった灰色に烟る海の上を、幾隻もの船が行き交っていた。
大きなタンカー、中くらいの遊覧船、小さなボートが細々と動く様子は、やはり生き物のように見えた。
車や電車が生き物に見えることはあまりないが、船のことは生き物のように捉えている自分に気がついた。
地上ではなく、海上を行く船という乗り物は、確かに人が作っているのだが、少し人の世界から独立したような佇まいをしているように思う。
それは、海という、地上とは違う世界を漕いでいく者の姿をしているからなのかもしれない。
姿形の話というよりは、その存在がどういう世界と関わっているかということによって、存在の仕方・見え方が変わってくるのだと思う。

船は、水の中では生きることのできない地上の人々を乗せて、海に身を浸し、人々を別の陸地へと運ぶ。
隔たれている物を、自らの(中間的な)存在によって交差させているのだ。
その存在によって、世界の見え方は変わってくる。
たまたま、今、この瞬間、隔たれているように見えるだけなのではないか。
船という存在によって、人と海の関係性が「変化」するというよりは、「見え方」が変わるだけなのではないか。
そういう風に思うのは、自分とは全く関わりのないという事柄が、この世界には存在しないように思うからだった。
単に、今は、隔たれているように「見える」だけで。
何らかの存在があることによって、たまたま隔たれていたもの同士の重なりが見える。
それが自然だとみんな受け取る。
そういうことを不思議に思うし、優しいと感じる。
船のような存在が気になっている。

2018/6/5